スネ夫かのび太か(3月6日付朝刊社説「民主国家の盟主にそぐわぬトランプ演説」に思う)
日本は暴君アメリカに付き従うスネ夫になるのか、是々非々の対応をするのび太になるのか。ここが国の将来を決める分かれ目ではないか?
先の日米首脳会議で、石破首相はトランプ大統領の歓心を買おうと、耳に痛い言葉は避け、歯が浮くようなおべんちゃらも発して、低姿勢に徹した。ジャイアンからすれば、こいつは何でも俺の言うことをきく子分との認識を得たに違いない。
日本の国益と、冷静な判断があっての卑屈な態度なら、それはそれだが、「日米同盟は日本外交の基軸」という戦後日本の保守政権が守ってきた金科玉条を守らねばという惰性で、スネ夫の役回りを続けているなら、これほど危険なことはない。
社説が指摘する通り、これまでの米国には、無理無法な振る舞いも多かったが、民主主義や自由という価値観の盟主という自覚と縛りもあった。それをかなぐり捨てた後に残るのは何か?一期目の時は、単にトランプという大統領がたまたまレールから外れたと見る人々もいたが、二期目、しかも大統領選挙では完勝となれば、トランプ現象は、米国のあり方が変わったと見ざるを得ない。それなら日本はどうする?
沈む泥舟で最後まで付き従い、心中する覚悟でスネ夫を演じ続けるというなら、それはひとつの見識だが、何となく思考停止して、ボーッと従来の外交を踏襲しているとしたら、政権トップのみならず、外交に関わる人々も怠慢の謗りは免れないだろう。
「永遠の同盟などこの世になく、あるのは国益だけ」という名言がある。日本は混沌とした世界で、誰と結び、どの道を行くべきか。答弁書の読み上げではない、心と心をぶつけ合う真剣な議論が国会で行われれば、視聴率ナンバーワンは間違いない。

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